|
ルールを破れ
ファッションのルールについて話をしよう。「あの人はセンスが良い」といった類の話をしばしば耳にする。ファッションやエディトリアルの世界に身を置いていると、日常的に聞こえて来る会話でもある。そのセンスが良いと囁かれる「あの人」に、少しだけスポットライトを当ててみよう。すると大抵の場合「あの人」は神から授けられた天性のファッションセンスを持っているわけではなく、そのセンスの良さは、ファッションのルールを熟知していることに起因していると教えられる。もしくは感覚的にファッションのルールらしきものを感じ取る能力が有り、無意識のうちにそれを日々のコーディネイトに生かしているケースも多い。ファッションの国籍、カテゴリー、流行、季節、カラーリングそしてT.P.O.など、センスが良い「あの人」とは、その辺りのルール作りに長けている人でもあるわけだ。若かりし頃、そのファッションのルールに夢中になっていた時期があった。中学時代に熱中したアイビーファッションである。当時のアイビーは、ルールがとても厳正なファッションだった。例えばトラウザース。アイビーのパンツとは、前ヒダなしのパイプドステム。ディテールは縦ポケットに尾錠付きで、裾は4センチの折り返しがなければならない。たかが長ズボンなのに、こんな調子なのである。その頃のアイビールックは解説や薀蓄ばかりがやたら先行して、まるで教科書を紐解くように「○○でなければならない」の一点張りが蔓延っていたのだ。が、いたいけな少年にとって、逆にこの厳粛な薀蓄こそが新鮮だった。そして砂漠の熱い砂が一気に水を吸い込んでしまうように、アイビーの詳細なルールを次々に吸収して行くのであった。よってお洒落を愉しむといった風情や余裕などはまったくなく、唯ひたすら教科書通りのABCを忠実に着こなすことが、アイビールックの真髄だと信じて止まなかったのである。いまでもこれを若気の至りだったとか、間違った行動を、扇動した行為だったとも思っていない。むしろ日本のメンズファッションの黎明期に於いて、結果的に男の服装術の基礎を築き上げたアイビーファッションの功績は大きかったと評価している。
ある意味で非常に大切なこのルール。しかしそれに縛られ過ぎるとルールは形をルーチンに変えて、我々に強いプレッシャーを掛けて来る。アイビーにハマって数年後には、我々は親のしつけように厳しく古臭いアイビーのルールから、とにかく逃げ出したくなったのである。それは個人レベルではなく、ジェネレーションレベルの大きな波動だった。アイビーファッションを終焉に追い込んだ本当の理由はこれである。若者たちは既に実態のなくなった虚構のルールではなく、リアルでフリーなウエストコーストファッションへ雪崩打つように逃れていったのだ。私もその大勢の中の一人だった。若ければ尚、ルールという十字架に反発したくなるものなのだ。が、少し時間が経つと、あれだけ嫌悪したアイビーのルールを積極的に活用している自分がいた。社会人になって、日々のコーディネイトにルールの必要性を感じたからだ。それ以降はアイビーのルールやルーチンに縛られることなく、意図的な外しやカスタムを加えて、自分だけのファッションを楽しめるようになった。これはファッションだけでなく、ライフスタイルや日常生活にも適用することが出来る。週に3度と決めた、スポーツクラブでのエクササイズを例に取ろう。入会直後は行くこと自体が楽しくて仕方ないが、それがルール化して来ると徐々にプレッシャーとなってしまい、スポーツクラブに行く直前になるとサボる理由ばかりを考えることになる。スポーツクラブでの、サーキットトレーニングのルーチンも同様だ。通常サーキットトレーニングとは、より効果的に筋力を向上させることを目的にその順番がプログラムされている。だから効くのである。よって辛いのである。すると一刻も早くトレーニングルームから逃げ出そうとしている自分がいる。そんな時は、だからサーキットトレーニングの順番を逆にしてみる。もしくはウエイトを少し軽めに設定してみる。そんな些細なルール破りが、ストレスを減らす効果をもたらすことに気付いたのだ。スポーツクラブに行く回数も、週3も有れば週2も有り、気力が充実している時は週4も有る。そのぐらいの曖昧さがいいのである。どうやら私は昔からルールやルーチンに対してストイックになり過ぎず、折り合いを付けながら向き合って行く術を身に付けているようだ。
スペースが少ない。 ファッションのルールに話を戻そう。読者諸兄姉もご存知のようにアイビーファッションとは、T.P.O.に合わせた服装体系が隙間なく網羅している。私が若かりし頃流行したアイビーファッションとは、傑出した衝撃とは相反して欠陥に繋がる抜け道が塞がれているゆえ、世の中に多くの信者が生まれ盲信者が増殖した。アイビーが宗教と呼ばれた所以である。如何にアイビー通と言えども、アイビーアイテム以外は何ひとつ身に付けないという潔癖さは、時代を超えて少々気味が悪いもの。たまにはジャンルの違ったアイテムを取り入れたり、意図的に外してみることも必要だ。センスの良い人とは、その辺りの出し入れが理解出来る人でもあるのだ。名優は台本の一字一句を完璧に記憶した後、意識的に一度それを完全に忘れるという。すると舞台に上がって演技を始めた瞬間、台本から要求されている通りの台詞が、心から湧き出る言葉で表現されるという。ファッションに於けるルールと実際のスタイルも、このような関係でなければカッコ良く映るはずがない。もしそれがアイビーのルールや教科書に反するというのなら、それで良いではないか。自分の服装センスは、あくまで自身のリスクによって表現すべきものだからだ。極限状況で争うと仮定した場合、表現の自由は、ルールや教科書に優先するべきものだと私は考えるのである。
現代社会に於いて人間とは、一日足りとも服を纏わずにはいられない生き物だ。だから肩肘の力を抜いて、まあ、アイビーファッションとやらを、もっと気楽に愉しもうではありませんか。
|